チベット仏教普及協会の趣旨

「チベット仏教普及協会」(愛称:ポタラ・カレッジ)は、ダライ・ラマ法王直系の正統なチベット仏教を学び実修する拠点として設立された、日本で最初の本格的なチベット仏教の団体です。

チベット仏教は、まさに人類の英知を結集した、世界最高水準の仏教です。その第一の特色は、インド仏教の本流を全て受け継ぎ、今日まで守り伝えているという点でしょう。中でも、最高の思想哲学である中観帰謬論証派、そして最奥義の実践修行である無上瑜伽タントラなど、中国や日本へほとんど伝わっていない珠玉の教えの数々は、チベット仏教の特筆すべき魅力となっています。
仏教の中には、小乗と大乗、顕教と密教など、様々な区分があります。チベット仏教の偉大な祖師たちは、それらの全てを総合し、「道次第(ラムリム)」という完全無欠な一大体系にまとめあげました。これは、膨大な量の仏典の心髄を巧みに凝縮し、教理の整合性を確保しながら実践の指針を提示したもので、チベット仏教が誇るべき特色の一つといえるでしょう。

「道次第」に説かれている教えの中でも、全ての生き物に対する慈悲を深め、自らの心を少しづつ向上させて仏の覚りの境地を目指すことは、実践修行の眼目となるものです。また、あらゆる存在の真実の在り方-空性と縁起-を正しく理解することは、仏教哲学の中心課題となるものです。そして、一切衆生を救済するため、仏陀の境地へ至る道を速やかに歩む方法として、最も深遠な教えである密教の修行に入るのです。

チベット仏教は、徹底した論理性と高度な哲学、慈悲と利他行の実践、平易な修道体系、心身の深層に働きかける瞑想修行などを兼ね備え、絶妙なバランスを保ちながら絢爛たる宗教世界を展開させています。人間として生きることの意味を自問するとき、現代社会の抱える難問や矛盾に行き詰まりを感じたとき、いずれ避けられない死の存在を意識したとき…。そのような事態に直面しても、チベット仏教の世界へ足を踏み入れて「道次第」を頼りに歩み始めるなら、一筋の光明とともに進むべき道は見えてくるのです。

こうした点からも分かるように、チベット仏教の本質は、決してチベット人固有のものではなく、広い普遍性を有しています。チベット仏教の教えは、人類の全てに開かれた貴重な財産です。世界の各地で、この素晴らしい教えに関心を寄せる人々が、自らそれを学んで実践してゆくことにより、チベット仏教は人種や民族や文化の枠を越え、「人間の心を向上させる」という本来の使命を果たすのです。そして、欧米をはじめとする世界の多くの国々で、実際にそうした成果が実を結びつつあります。

だとすれば、伝統的に同じ仏教文化を共有する日本に於て、それが不可能なはずはありません。日本人なら、より一層高い水準でチベット仏教の心髄を学びとって実践し、それを自らの心の糧としてゆくことがきっとできるでしょう。いうまでもなく、チベット仏教も日本の仏教も、その根本は同じです。けれども-前述のように-チベット仏教には、日本へ伝わっていない優れた教えの数々かあるので、それらを実践的に学ぶことは、日本人にとって非常に大きな意味があります。

日本の地でチベット仏教を学んで実践する善行が普及するならば、地球的な規模でチベット仏教という人類の至宝を守り伝えることに寄与すると同時に、日本の人々のためにも計り知れない恩恵をもたらします。そうした環境を整え、チベット仏教の本質を全て生かしながら、しかも日本人に合った教理・実践体系を作りあげることこそ、私たちの課題となるでしょう。

チベット仏教普及協会では、こうした基本認識に基づいて、チベット仏教を本格的に学んで実践してゆくため、確固たる拠点の構築を目指します。

チベット仏教には、ニンマ派、カギュー派、サキャ派、ゲルク派という四大宗派があります。本会の基本方針として、必ずしも特定の宗派にとらわれることなく、巾広く活動を展開したいと考えております。ただ法流の関係から、主には最大勢力ゲルク派の教えを中心に扱っています。

ロセルリン学堂
南インドに再建されたゲルク派大本山デプン寺ロセルリン学堂

ダライ・ラマ法王を最高指導者に戴く亡命チベット人社会に於ける仏教界の中で、本会と特に御縁の深い僧院は、ダラムサラ仏教論理大学、ゲルク派大本山デプン寺ロセルリン学堂、ゲルク派密教専修道場ギュトゥー寺などです。

※ チベット仏教普及協会は、新興宗教や新新宗教(特に、オウム真理教、アレフ、ひかりの輪)とは一切関係ありません。
※ チベット仏教普及協会は、ダライ・ラマ14世法王が否認なさっているシュクデン信仰とは一切関係ありません。