集中講座:中観密意解明の概要Ⅱ
クンチョック・シタル師からのメッセージ
本講義シリーズでは、チャンドラキールティ著『入中論』根本頌及び『入中論自註』に対するツォンカパ大師の註釈書『中観密意解明』の要点を冒頭から解説しています。
今回から、『中観密意解明』の中心部分である第六章に入ります。第六章は、法無我の論証、人無我の論証、空性の分類の三つのパートから構成され、第一の法無我の論証は「四辺(自・他・両方・無因)からの生起」の否定がその内容となります。今回の二日間の講義では、第六章の冒頭から、「自からの生起」の否定の箇所(99-134節、1-13偈)までを解説します(節番号は講師共訳書による)。以下、その概要を紹介します。
この箇所は、内容から、前半(99-104節、1-7偈)と後半(105-134節、8-13偈)に分けられます。前半では、「現前地」の語義、甚深なる縁起が説かれるべき器の特徴、縁起が説かれることによる功徳、などが述べられます。
後半では、経証として『十地経』からこの地へ入る菩薩が学ぶべき法の十の平等性が引用された後、中観自立論証派と中観帰謬論証派の諦執の認識把握の相違が論じられます。この二つの中観派についての議論は『入中論』や『入中論自註』にはなく、ツォンカパ大師が補足したものであり、両学派の違いを理解する上で非常に重要な箇所です。
その後、法の十の平等性の中心である「不生起」の理証として、法無我の論証である「四辺からの生起」の否定の議論に移ります。一つめの「自からの生起」を主張する対論者として想定されているのは、因中有果論を認めるサーンキヤ学派です。チャンドラキールティ自身の正理による否定(8-12偈)とナーガールジュナの『根本中頌』に基づく否定(13偈)によって、「自からの生起」が否定されます。
次回以降の集中講座で扱う「他からの生起」の否定では、二諦論、唯識派の主張の否定など多くの重要な議論が展開されますが、今回の箇所も重要な内容が含まれています。中観思想に興味のある方の参加をお待ちしています。